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2014年9月 8日 (月)

神誕生の碑と柴野栗山の碑

賀嶋公園の下の駐車場脇に、神誕生の碑と柴野栗山の碑がある、神誕生の碑の前は、海蝕台の浜になっている。

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**ブラタケノマップから引用させていただいています。

神誕生の浦
賀嶋山の麓の広場の中央にある誕生の碑は、天つ神の武神「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」が、出雲の稲佐の浜で「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と国ゆずりの談判成立の後にこの地に上陸されました。のちに加島宮に祭られますが、この神が降りられた所が「神誕生の浦」と伝えられています。

神誕生の浦前の海岸、駐車場の西にある。

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柴野栗山の碑

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陽の横に有る説明看板、OCRで文書化しています。

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 文化四年(一八〇七年ご八月柴栗山が風光明媚な賀嶋の地で感嘆のあまり詩を詠み同十四年八月出石藩の土岐東市がこれを刻んで建立したのがこの碑である。
 碑には「文化四年六月十日幕府の儒者である讃岐生まれの栗山が播磨の高見恭、但馬の医師黒崎揮等と来遊し、隠岐・佐渡・越前・越中越後を肘や脹に眺め、はるか雲天の外に満州を望んでその雄大な景色にいたく感動し、酒を汲んで広く豊かな心持ちになった。 従う者は門人の三上順憲及び養子の允升であった。」と記されている。
 栗山は香川県高松に生まれ、元文元年(一七三六年)から文化四年にかけて活躍した江戸時代中末期の儒者であって寛政の三博士の一人である。
天明八年(一七八八年)には、晶平坂学問所の教授となり寛政二年(一七九つ年)のかの有名な『異学の芦は栗山の建議によってできたものである。
栗山は詩文筆礼に秀で当時有数の名文家といわれた。なお横の小碑は美濃鵜の漢学者
村瀬藤城が栗山の詩を後世まで保存されることを希って詠んだ詩が刻まれている。
 昭和六十三年七月

2014.04.25撮影

OCRソフトは、のバンドル版です。

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